門田隆将

作家/ジャーナリスト

プロフィール

1958年(昭和33年)高知県安芸市生まれ。中央大学法学部卒業後、新潮社に入社。『週刊新潮』編集部に配属、記者、デスク、次長、副部長を経て、2008年4月に独立。
『この命、義に捧ぐー台湾を救った陸軍中将根本博の奇跡』(集英社、後に角川文庫)で第19回山本七平賞受賞。主な著書に『死の淵を見た男ー吉田昌郎と福島第一原発』『日本、遥かなりーエルトゥールルの「奇跡」と邦人救出の「迷走」』『太平洋戦争 最後の証言(第一部~第三部)』『汝、ふたつの故国に殉ず』(角川文庫)、『なぜ君は絶望と闘えたのかー本村洋の3300日』(新潮文庫)、『甲子園への遺言』(講談社文庫)、『疫病2020』『日中友好侵略史』『尖閣1945』『新聞という病』(産経新聞出版)などベストセラー多数。

講義一覧


百年後の日本人のために、共に玉砕する仲間たちのために

大統領に告ぐ…硫黄島からの手紙の真実(4)百年後の日本人のために

硫黄島の戦いでの奇跡的な物語を深く探究したノンフィクション『大統領に告ぐ』。著者の門田隆将氏は、「読者の皆さんには、その場に身を置いて読んでほしい」と語る。硫黄島の洞窟の中で、自分が死ぬ意味を考えていた日本人将兵。いよいよ玉砕のときに、司令官の市丸が想いを込めて記した「ルーズベルトに与ふる書」は、百年後の日本人のためのものであり、また、共に死んでゆく仲間たちのためのものでもあった。さらに、この書の厳しい内容を戦時中であるにもかかわらず、ニュースとして大きく報じ、また、手紙の現物をアナポリスの海軍士官学校に大切に保管しつづけたアメリカの底力も忘れてはならない。いまこそ、われわれが考えるべきこととは何だろうか。(全4話中第4話)
※インタビュアー:川上達史(テンミニッツ・アカデミー編集長)


マッカーサーとも共鳴…「ルーズベルトに与ふる書」の主張

大統領に告ぐ…硫黄島からの手紙の真実(3)市丸少将の歴史観への評価

『大統領に告ぐ』の取材で、市丸利之助の長女の志村俊子氏が、市丸利之助の家庭での父の姿を語っている。子供たちの歌を聴くのが好きだった優しい父・市丸利之助は、その一方で「ルーズベルトに与ふる書」で毅然と大統領を説得し、糾弾もしている。だが、その文章に熱く込めた「当時の日本人の想い」は、けっして奇矯(ききょう)なものではなかった。ルーズベルト大統領の前任のフーバー大統領や、当時一流の日本専門家であったヘレン・ミアーズらの見方は、市丸と深く共通するものであった。さらに、日本占領期の連合国軍最高司令官であったマッカーサーがアメリカ上院軍事・外交合同委員会で語った証言も、市丸の主張ときわめて重なるものだったのである。市丸が「ルーズベルトに与ふる書」に込めた主張の歴史的な評価と現代的な意義とは?(全4話中第3話)
※インタビュアー:川上達史(テンミニッツ・アカデミー編集長)


アメリカ人の心を震わせた20歳の日系二世・三上弘文の翻訳

大統領に告ぐ…硫黄島からの手紙の真実(2)翻訳に込めた日米の架け橋への夢

「ルーズベルトに与ふる書」を書き上げた海軍少将・市丸利之助は、部下の三上弘之に翻訳を命じる。三上はハワイ生まれの日系二世で、当時20歳の青年であった。「日米の懸け橋」になることが夢だった三上は、まことに格調高い英文に仕上げる。しかも、日本人の想いをまっすぐに届けるべく市丸が記した厳しい言葉を、あくまでアメリカ人の気持ちにストンと落ちるように、苦心しながら見事な工夫をほどこして訳していったのである。これまで謎の存在であった三上弘之。だが、今回の書籍執筆の取材のなかで、ハワイ在住の三上の妹への取材も叶い、その人物像が明確に浮かび上がってきた。(全4話中第2話)
※インタビュアー:川上達史(テンミニッツ・アカデミー編集長)


奇跡の史実…硫黄島の戦いと「ルーズベルトに与ふる書」

大統領に告ぐ…硫黄島からの手紙の真実(1)ルーズベルトに与ふる書

第二次世界大戦での日米の激闘の象徴ともいえる硫黄島。その戦いの中で生まれた奇跡のような物語があった。玉砕を前に、日本海軍の司令官・市丸利之助が米国大統領への手紙「ルーズベルトに与ふる書」を書き、ハワイ生まれの日系二世・三上弘文がアメリカ人に伝わるように苦心して翻訳し、それを通信参謀・村上治重が自らの戦死をもって届けるべく自分の腹に巻いて突撃する。そこには、当時の日本人の思いが格調高い文章で綴られていた。そしてその手紙は米軍の手にわたり、なんと戦時中であるにもかかわらず全世界に全文が記事として報じられていたのである。そこに込められた想いと、それを成し遂げた人々の真実とは。ノンフィクション作品『大統領に告ぐ』について、著者の門田隆将氏が熱く語る。(全4話中第1話)
※インタビュアー:川上達史(テンミニッツ・アカデミー編集長)