髙坂節三

公益財団法人 日本漢字能力検定協会 顧問

プロフィール

<生年> 
1936年(昭和11年) 誕生

<学歴>
1959年(昭和34年) 京都大学経済学部卒業

<職歴>
1959年(昭和34年) 伊藤忠商事株式会社入社
1989年(平成元年)  同社 取締役、アメリカ会社執行副社長
1993年(平成5年)  同社 常務取締役、中南米総支配人
1995年(平成7年)  栗田工業株式会社 代表取締役専務
1999年(平成11年) 同社 取締役会長
2001年(平成13年) 同社 顧問
2009年(平成21年) 財団法人 日本漢字能力検定協会 理事
2010年(平成22年) 同協会 専務理事
2011年(平成23年) 同協会 理事長
2013年(平成25年) 公益財団法人 日本漢字能力検定協会 代表理事
2015年(平成27年) 同協会 代表理事 会長
2017年(平成29年) 同協会 代表理事 会長兼理事長
2023年(令和5年) 同協会 顧問


その間、東京都教育委員、拓殖大学客員教授、独立行政法人大学評価・学位授与機構運営委員、日揮株式会社社外取締役、外務省外務人事審議会委員、公益社団法人経済同友会幹事・諮問委員・憲法問題調査会委員長などを歴任。

<主な活動>
現在、公益財団法人ユネスコ・アジア文化センター理事、公益社団法人日本弘道会理事、公益社団法人経済同友会委員(教育改革委員会委員、学校と経営者の交流活動推進委員会委員、等)

<主な著書>
『教育委員になって知ったこと、考えたこと』(小学館スクウェア)2010年
『経済人からみた日本国憲法』(PHP新書)2008年
『国際資源・環境論』(都市出版)2005年
『昭和の宿命を見つめた眼-父・髙坂正顕と兄・髙坂正尭』(PHP研究所)2000年

講義一覧


西田幾多郎の思想を求め京大哲学科に集まった弟子たち

過去から未来へ、京都学派の役割(1)京都学派とは

京都には「哲学の道」がある。銀閣寺から若王子橋へ疎水に沿う小道で、西田幾多郎や田辺元らが散策したのが名の由来だ。西田門下に集まった京都学派の中枢をなした髙坂正顕氏の三男であり、戦後の国際政治学者・髙坂正堯氏を兄に持つ髙坂節三氏からうかがう話は、過去から未来に向かって日本哲学へ分け入る小道となろう。(全5話中第1話目)


西田幾多郎と父・髙坂正顕の師弟エピソード

過去から未来へ、京都学派の役割(2)髙坂正顕の思想と西田幾多郎の「永遠の今」

カント研究の第一人者であり京都学派の中心的人物でもある髙坂正顕氏は、高校時代に西田幾太郎に出会い、ついには父の反対を押しきって京都帝大哲学科に進学する。正顕氏の三男・髙坂節三氏が語る、京都学派の系譜を知るうえで欠かせないエピソードの数々。(全5話中第2話目)


非国家的な世界主義者と非難された西田の思想とは?

過去から未来へ、京都学派の役割(3)ランケの考えと西田幾多郎の立場

「世界史的立場と日本」を世に問うた京都学派。その思想について考えるうえで、ドイツの歴史学者ランケと西田幾多郎の考え方、立場を押さえておきたい。彼らがそれぞれヨーロッパとアジア、そして日本という立ち位置からどんな考えを持って世界史を捉えていたのか。髙坂節三氏が、当時の世界と日本の情勢をたどりながら解説を進める。(全5話中第3話目)


吉田茂に「国会議員になったら」と誘われた兄の議論力

過去から未来へ、京都学派の役割(4)父・髙坂正顕と兄・坂正堯の眼

哲学者として京都学派を代表する父・髙坂正顕の息子でありながら、父とは異なる道を歩んだ国際政治学者・髙坂正堯。親子の心の交流とそれぞれの道を究めた過程を、髙坂節三氏が客観的視点をもって丹念に語る。(全5話中第4話目)


ランケと京都学派は似ている? 西欧の「神」に替わるもの

過去から未来へ、京都学派の役割(5)過去から未来へ

一神教に始まった西欧の思想は、科学万能の敗退を経た戦後、不条理の実存主義、脱構築のポスト・モダン、そしてリスク論へと迷走を続けているかに見える。「過去から未来へ」思索をつなげていくために日本が世界に問う「絶対無」の思想とは何かを、髙坂節三氏が解説する。(全5話中第5話目)