與那覇潤

評論家

プロフィール

1979年、神奈川県生まれ。2007年、東京大学大学院総合文化研究科博士課程修了。専門は日本近現代史。2007年から地方公立大学准教授として教鞭をとった後、病気離職。
著書に『翻訳の政治学』(岩波書店)、『帝国の残影』(NTT出版)、『中国化する日本』(文春文庫)、『日本人はなぜ存在するか』(集英社文庫)、『過剰可視化社』 (PHP新書)、『荒れ野の六十年』(勉誠出版)、『平成史』(文藝春秋)ほか多数。共著に『「日本史」の終わり』(PHP文庫)、『日本の起源』(太田出版)、『史論の復権』(新潮新書)ほか多数。
2020年、斎藤環氏との共著『心を病んだらいけないの?』(新潮選書)で小林秀雄賞。

講義一覧


小津安二郎映画の「節度ある甘え」…持続可能な甘えとは?

『「甘え」の構造』と現代日本(8)小津安二郎の映画と「節度ある甘え」

『小津安二郎の芸術』(佐藤忠男著)という本が、『「甘え」の構造』と同じ1971年に出版されている。その本では、『「甘え」の構造』を引用しながら小津映画で描かれている「甘え」の美学について分析されているのだが、当時あったのは「節度ある甘え」だったという。しかし、刊行されてからの約半世紀で、「甘え」の実態は大きく変わってしまった。ではどのように移り変わってきたのか。あさま山荘事件と秋葉原事件という2つの象徴的な事件を挙げて「甘え」の変遷、その実態を追いながら、これから日本で求められていく「持続可能な甘え」について考える。(全8話中第8話)


親ガチャと学生運動と桃太郎…葛藤なき家族のニヒリズム

『「甘え」の構造』と現代日本(7)桃太郎の鬼退治と「親ガチャ」

1970年代当時、過激化する学生運動を「桃太郎の鬼退治」という側面で捉えた土居健郎氏の『「甘え」の構造』。なぜ学生運動が鬼退治に似ているのか。その理由として挙げられているのは、「家父長的」な親の権威と「反抗期」「思春期」がぶつかりあった家庭内の葛藤が当時をさかいに薄れてきているのではないかという指摘である。そこで今、本書を読み直して思うのは、2020年代に流行った「親ガチャ」といった言葉である。平成をへて令和の時代をスタートさせた日本でいったい何が起こっているのか。刊行されて約半世紀、改めて本書から生かすべき教訓を考える。(全8話中第7話)


学生運動はなぜ暴走したのか?「加害と被害」意識の関係

『「甘え」の構造』と現代日本(6)日本人の被害的心理と社会運動の過激化

『「甘え」の構造』が出版された1971年は、学生運動が盛んな時期だった。その中で、あさま山荘事件など過激化する社会運動の背景として深く関わっているのは、日本人が抱く被害的心理ではないか。その点について、本書の中で著者の土居氏は、かつて英語の授業で習った受動態の話をもとに分析。そこから、「加害と被害」という観点から人間をどう捉えるべきかという問題提起へとつながっていく。(全8話中第6話)


カミュ『異邦人』を『他人』と訳すべきと問題提起した真意

『「甘え」の構造』と現代日本(5)カミュの思考実験と遠近法なしの社会

フランスの作家カミュに『異邦人』という小説がある。土居健郎氏は、正しい訳題は『他人』だったのではないかという問題提起をしている。そこには、ある種一つの思考実験としてカミュが描き出した問題を通して、人間関係と甘えについて考えるべき深い理由があった。そこから、身内から他人へという遠近法をなくしてしまう社会の危うさについて、コロナ禍の行動を取り上げながら考える。(全7話中第5話)


恩は返さなくても取り立てても駄目…山本七平と遠慮の意味

『「甘え」の構造』と現代日本(4)人間関係の三重構造と「遠慮」の世界

お互いが今、何を考えているか。居心地の良い社会を築く上でそれを推し量ることができる状況をつくることが重要だが、それを可能にするのが「慣習」だという。そこで、与那覇氏は『「甘え」の構造』の後に発刊された山本七平氏の『日本教徒―その開祖と現代知識人』を取り上げ、ある慣習から日本人を基礎づけるモラルを読み解いていく。しかし、実際に相手の心を推し量ることは容易ではない。そこで土居健郎氏は、人間関係を三重構造として考えることで、心が読み解けない他人とも共生してきた日本人の姿を捉えようとした。その議論のキー概念であり、現代社会で失われつつある「遠慮」について考察する。(全7話中第4話)


『坊っちゃん』の借金問題から考える人間関係の基礎

『「甘え」の構造』と現代日本(3)人間の自立と『坊っちゃん』のエピソード

「輔弼してくれる人が欲しい」という学生からの相談の話が、『「甘え」の構造』の中に出てくる。土居健郎氏はそこから天皇論と結びつけて日本人の特殊性という方向へ話を進めていくのだが、一方、自立という観点からみると、このエピソードからは人間の普遍的な感情が浮かび上がってくる。そこで、もう一つのエピソードとして『坊っちゃん』が引用されるのだが、それを踏まえて提示されたのは、心理学という「心の理論」である。人間社会を支えてきた、非常に重要なその考え方に迫る。(全7話中第3話)


「Thank you」か「I am sorry」か…日本人の癖とは?

『「甘え」の構造』と現代日本(2)日本人の自責意識と自由の限界

感謝の言葉として「Thank you」ではなく「I am sorry」と言ってしまう日本人の話が、『「甘え」の構造』に出てくる。そこから著者・土居健郎氏は日本人の本質、「甘え」の背景に迫ろうとしたが、與那覇氏はその分析にコロナ禍の日本人の行動を重ねることで、日本人の自責意識を指摘する。また、その指摘は、日本人の癖として西欧のキリスト教的価値観との対比によってより鮮明になっている。考察を深めると、キリスト教的発想、自由の限界への気づきを通じて、特殊と思われていた日本人の本質、あるいは日本文化の普遍性が見えてくる。(全7話中第2話)


『「甘え」の構造』への誤解…実は甘えを許さない日本人?

『「甘え」の構造』と現代日本(1)「甘え」のインパクト

1971年に出版されてベストセラーとなった土居健郎氏の『「甘え」の構造』。初版の刊行以来、続編や増補版が編まれ、長く読み継がれている名著だが、そのメッセージには「甘え」に対する2つの誤解があるのではないかと與那覇氏は言う。その誤解を解き明かすとともに、本書を読み直す契機となった新型コロナウイルス禍における日本人の振る舞いを解説し、日本人にとって「甘え」とは何か、そして現在の日本社会の捉え方について考えたい。(全7話中第1話)