藤尾慎一郎

国立歴史民俗博物館 研究部 教授/総合研究大学院大学 日本歴史研究専攻 名誉教授

プロフィール

<プロフィール>
1959年福岡県生まれ。

【学位】
博士(文学)(広島大学文学部) 【2002年取得】

【学歴】
広島大学文学部史学科(考古学専攻) 【1981年卒業】
九州大学大学院文学研究科考古学専攻博士後期課程 【1986年単位取得退学】

【職歴】
1986年 九州大学文学部助手
1988年 国立歴史民俗博物館考古研究部助手
1999年 国立歴史民俗博物館歴史研究部助教授
2003年4月 総合研究大学院大学文化科学研究科日本歴史研究専攻助教授併任
2007年4月 大学共同利用機関法人人間文化研究機構国立歴史民俗博物館研究部准教授
2007年4月 総合研究大学院大学文化科学研究科日本歴史研究専攻准教授併任
2008年11月 大学共同利用機関法人人間文化研究機構国立歴史民俗博物館研究部教授
2009年4月 総合研究大学院大学文化科学研究科日本歴史研究専攻教授併任

【専門分野】
先史考古学

【主な著書】
『新弥生時代』(吉川歴史文化ライブラリー329,吉川弘文館,2011年10月)
『弥生文化像の新構築』(吉川弘文館,2013年5月)
『弥生時代の歴史』講談社現代新書(2015.5月)
『弥生時代って、どんな時代だったのか?』(藤尾編 朝倉書店、2017年3月)
『ここが変わる!日本の考古学』(松木武彦と共編著 吉川弘文館、2019年3月)

講義一覧


弥生時代の開始時期を発見した「炭素14年代測定法」とは

弥生時代の歴史~研究最前線(1)炭素14年代測定法

ここ15年の弥生時代研究の大きな進展は、具体的な西暦年代を用いて時代区分を表現できるようになったことである。藤尾慎一郎氏のチームは、「炭素14年代測定法」と呼ばれる方法を用いた調査によって、弥生時代が従来考えられていたよりも500年早く始まったことを実証した。今回はまず、弥生時代が始まる時期をめぐって、研究者の間でどのような議論がなされてきたのかについて解説する。(全12話中第1話)


「酸素同位体比年輪年代法」で弥生時代の開始年代確定へ

弥生時代の歴史~研究最前線(2)酸素同位体比年輪年代法

炭素14年代測定法を用いて、藤尾慎一郎氏のグループは弥生時代の開始年代が500年さかのぼることを発表したが、開始年代にはまだ議論がある。本講義では、新たに開発された「酸素同位体比年輪年代法」と呼ばれる方法について解説する。開始年代が確定しても、日本全国が一斉に弥生時代へと移行したわけではない。文化は徐々に広がっていくという点にも着目していく必要がある。(全12話中第2話)


日本に大きな影響を与えた朝鮮半島の水田稲作

弥生時代の歴史~研究最前線(3)~水田稲作の始まり~前編

日本における穀物は、朝鮮半島南部(韓国南部)からの影響を強く受けている。そこで、今回は日本の水田稲作を議論する前に、朝鮮半島における穀物の発展の様子を見ていく。出土した土器あるいは遺跡などから、農耕文化とそれに伴う社会制度の発展を考察できる。(全12話中第3話)


縄文人の生活圏とは異なる場所で始まった水田稲作の歴史

弥生時代の歴史~研究最前線(3)~水田稲作の始まり~後編

朝鮮半島南部から遅れて日本でも粟やキビを主食とする生活形態から、水田稲作への変化が生じつつあった。福岡県で見つかった日本最古の水田遺跡からは、縄文人の生活圏とは異なる場所から水田稲作が始まったこと、水田稲作のためにさまざまな工夫が施されていたことなどが分かる。(全12話中第4話)


水田稲作が広まったことによる社会の変化と大きな問題

弥生時代の歴史~研究最前線(4)~農耕社会の成立~前編

水田稲作が定着していく中で、日本にも農耕社会が根付いてきた。環壕集落の跡や副葬品のある墓など、縄文時代には見られなかった文化が徐々に見られるようになってくる。こうした変化は、身分制度や戦争、そして格差の世襲など、今なお残る社会問題が水田稲作の発生とともに出現したことを示唆している。(全12話中第5話)


弥生時代の前期はコメと合わせてアワやキビも作られていた

弥生時代の歴史~研究最前線(4)~農耕社会の成立~後編

九州北部で始まった水田稲作は、すぐに日本全国に伝播していったわけではない。250年ほどたって、ようやく中国地方や九州南部へ広がり、その後、徐々に日本各地に広がっていった。ではどのような形で水田稲作文化が伝播していったのだろうか。近畿地方、中国地方、四国地方、中部地方の遺跡から得られた考古学的証拠をもとに詳しく説明する。(全12話中第6話)


最初に弥生時代に伝わった金属器は、鉄器ではなく青銅器

弥生時代の歴史~研究最前線(5)~金属器の登場~前編

東北地方北部では、他の地方とは異なる形態を取っていたという。可能な限り縄文文化を継続しつつ、水田という技術だけ受け入れていたというのだ。また、朝鮮半島南部の文化も、ほとんど受け入れずに縄文文化を続けていたが、九州北部地方では積極的に受け入れていく。朝鮮半島からどのような文化が伝来したのか。なかでも金属器の事情について詳しく解説する。(全12話中第7話)


青銅器の国産化には朝鮮半島出身者が影響を与えている

弥生時代の歴史~研究最前線(5)~金属器の登場~後編

青銅器は伝来した当初、朝鮮半島と同様のものを用いていたが、やがて弥生人たちは朝鮮半島からやってきた青銅器工人を受け入れながら、徐々に弥生独自の青銅器を創るようになります。また、鉄器は紀元前4世紀頃に中国東北部、もしくは朝鮮半島南部から伝来されたが、入手に関しては来るのを待っていたのではなく、むしろ自ら朝鮮半島南部に求めにいった可能性が高くなっています。ものづくり大国日本の第一歩ともいえる、弥生時代の青銅器と鉄器の文化に関して解説する。(全12話中第8話)


弥生人と朝鮮半島をつなぐ壱岐の「原の辻遺跡」

弥生時代の歴史~研究最前線(6)~外交の始まり~前編

弥生人は次第に日本の外に出て、朝鮮半島や中国の人々と交流を持つようになる。壱岐の「原の辻遺跡」は、そうした外交のための前進基地と考えられており、当時の活発な経済活動や文化交流の跡が伺える。こうした活動を指導していた弥生人の王は、九州北部で中国からもらった鏡などを副葬品として用い、自らの地位の高さを示していたのである。(全12話中第9話)


「倭」の範囲は環壕集落の分布と一致しているのか

弥生時代の歴史~研究最前線(6)~外交の始まり~後編

「倭」という弥生人たちの国は当時、外国にどのように捉えられていたのか。「倭」の範囲は、北は新潟県、東は千葉県から埼玉県あたりにまで及んでいた。対して東北地方では縄文時代の文化がいまだに用いられており、水田稲作にもそれほど固執していない。「倭」という国に対して、国内の文化的差異に着目して解答を与える。(全12話中第10話)


古墳時代成立の鍵となるのは鉄ではなく威信財や祭祀

弥生時代の歴史~研究最前線(7)~古墳時代への胎動~

弥生時代から古墳時代へと弥生社会はどのように変化していったのか。従来は鉄などの実用的な道具の入手が九州北部から近畿に移ったことで、近畿を中心とした巨大な政治的権力が成立し古墳時代が始まったとされてきた。しかし、考古学的資料の検討を行うと、鉄ではなく威信財や祭祀の分布が、古墳時代の開始に重要な役割を果たしていたことが明らかになってきた。前方後円墳は、倭国内の各地で行われていた風習を一つに合体し、新たな文化装置として創造された大事業の一環だったのだ。(全12話中第12話)


奴国の中心地・博多湾岸に弥生時代を代表する遺跡がある

弥生時代の歴史~研究最前線(7)~博多湾岸諸国~

弥生時代後期の遺跡といえば佐賀県の吉野ヶ里遺跡が有名だが、奴国の中心地であった博多湾岸諸国のなかで福岡県の比恵・那珂遺跡群は吉野ヶ里遺跡とは異なり、より都市的な発展を遂げたのではないかと考えられている。ここではさまざまな考古学的資料が出土しており、その経済的な豊かさや手工業の発展度合から、弥生時代を代表する遺跡として知られている。今回は弥生時代の最も発展した集落街に住んだ人たちの生活をひもといていく。(全12話中第11話)