竹内修一

上智大学神学部教授/カトリック司祭(イエズス会)

プロフィール

略歴:
カトリック司祭(イエズス会)。
上智大学哲学研究科修了、同大学神学部神学科卒業、Weston Jesuit School of Theology(STL:神学修士)、Jesuit School of Theology at Berkeley(STD:神学博士)。
上智大学神学部教授。
専攻:倫理神学(基礎倫理、いのちの倫理、性の倫理)。


著書:
『【徹底比較】仏教とキリスト教』(共著、大法輪閣、2016年)、
『愛――すべてに勝るもの』(共著、教友社、2015年)、
『教会と学校での宗教教育再考』(共著、オリエンス宗教研究所、2009年)、
『ことばの風景』(教友社、2007年)、
『風のなごり』(教友社、2004年)、その他。

論文:
「いのちと霊性」(上智大学キリスト教文化研究所『紀要』、2016年)、
「いのちに仕え平和を築く」(東京純心大学キリスト教文化研究センター『紀要』、2016年)、その他。

講義一覧


「イエス・キリスト」という名前の本当の意味は?

キリスト教とは何か~愛と赦しといのち(1)「イエス」とは一体誰なのか

キリスト教とは何か。「文明の衝突」が世界中で現実化する中、この問題は日本人にとっても重要なものになっている。上智大学神学部教授・竹内修一氏は、「キリスト教とは何か」という問いは、同時に「イエスとは誰なのか」も意味すると言う。イエス・キリストという名前にはどんな秘密が隠されているのか、聖書をヒントに解説する。(全6話中第1話)


「神の国は近づいた」…では、それはどこにあるのか?

キリスト教とは何か~愛と赦しといのち(2)「神の国」はどこにあるのか

イエスが伝道を始めた最初の言葉は、「神の国は近づいた」だった。では神の国とはどこにあるのか。この問いは重要だ。上智大学神学部教授・竹内修一氏によれば、神の国とは私たちが想定するような「あの世」ではない。神の国は、人々の間に出現する。よってそれは怖がるものではなく、希望に満ちた場所だ。(全6話中第2話)


キリスト教が教える「愛」とは

キリスト教とは何か~愛と赦しといのち(3)キリスト教の愛とはどんなものか

上智大学神学部教授・竹内修一氏は、キリスト教でいう「愛」とは決して抽象的なものではなく、具体的な行為で示されるものだという。その典型は、「最後の晩餐」でイエスが弟子たちの「足を洗う」ことだ。それは当時の文脈で何を意味し、そうすることでイエスは弟子に何を伝えようとしたのか。キリスト教の真髄が見えてくる。(全6話中第3話)


キリスト教では、神への愛と隣人愛は等しいものである

キリスト教とは何か~愛と赦しといのち(4)「隣人愛」とはどういうことか

「隣人愛」は、キリスト教を知る上での重要なキーワードだ。これについて、イエスは何と言っているか。上智大学神学部教授・竹内修一氏はここで、イエスとファリサイ派律法学者の問答を紹介する。エリート学者の挑発的な問いかけに、イエスは何と答えたのか。またそれを、私たちはどのように理解すべきか。竹内氏が解説する。(全6話中第4話)


聖書から読み解く…キリスト教の「愛」とは赦すこと

キリスト教とは何か~愛と赦しといのち(5)「赦す」とはどういうことか

愛とは何か。それは「赦し」である。しかし上智大学神学部教授・竹内修一氏は、この「赦し」は「水に流す」ことではないと強調する。さらに愛とは、「平和」であり「沈黙」であるとも言われる。キリスト教の愛は、さまざまな言葉で言い換えられながら、その本質を露わにしていく。(全6話中第5話)


キリスト教の愛の種類「エロス・フィリア・アガペー」とは

キリスト教とは何か~愛と赦しといのち(6)聖書とはどんな書物なのか

エロス、フィリア、アガペー。これはどれも、キリスト教で「愛」を示す言葉だ。上智大学神学部教授・竹内修一氏によれば、この意味の違う愛をめぐっては、イエスと弟子の間ですらもすれ違いがあった。しかし師イエスは、弟子を赦し、彼らに伝道を託した。たとえ相手が間違っていても、相手を赦す。これこそが、キリスト教の愛だ。(全6話中第6話)