本当のことがわかる昭和史 第六章


いざ戦うとなれば強烈な敢闘精神を示す気風が西洋にはある

本当のことがわかる昭和史《6》人種差別を打破せんと日本人は奮い立った(1)「卑怯な黄色い人間に負けてたまるか」

自らの誇りをかけて「負けてたまるか」と強烈に思うことは、とてつもなく強い「ガッツ」をもたらすものである。第二次大戦当時のアメリカの軍人に非常なガッツがあったのは、そういう人情の機微ともいうべきものに突き当たるような気がする。上智大学名誉教授・渡部昇一氏によるシリーズ「本当のことがわかる昭和史」第六章・第1回。


「有色人種は厨房以外では使わない」と書いた米国人の真意

本当のことがわかる昭和史《6》人種差別を打破せんと日本人は奮い立った(2)名実ともに人種差別国家だったアメリカ

1950年代から60年代に燃え盛った公民権運動を経る前のアメリカは、名実ともに「人種差別国家」であった。アジア系で最初に迫害されたのは19世紀中頃に移民してきたシナ人であった。シナ人の次にやってきたのは日本人だが、日清戦争に勝利した日本人にはシナ人たちに対するような無法な実力行使を重ねるわけにはいかなかった。そこで排日移民法成立へと進んでいく。上智大学名誉教授・渡部昇一氏によるシリーズ「本当のことがわかる昭和史」第六章・第2回。
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アメリカの排日移民法…なぜ渋沢栄一は悔し涙を流したか

本当のことがわかる昭和史《6》人種差別を打破せんと日本人は奮い立った(3)渋沢栄一の「悔し涙」演説

大正13年、アメリカで排日移民法ができたとき、親米的だった学者や思想家、実業家の間にも反米感情が現われた。財界の大御所・渋沢栄一は、帝国ホテルで排日移民法成立に憤る演説をしているが、悔し涙を流しつつ語ったといわれている。上智大学名誉教授・渡部昇一氏によるシリーズ「本当のことがわかる昭和史」第六章・第3回。


人種的差別撤廃を国際会議で初めて提案したのは日本だった

本当のことがわかる昭和史《6》人種差別を打破せんと日本人は奮い立った(4)人種平等案否決が大東亜戦争の遠因

第一次世界大戦後のパリ講和会議で、日本は人種差別撤廃の提案を行っている。実は、国際会議でこういったことを訴えたのは日本が初めてであった。だが、この案は反対され、流されることになる。当時、植民地を抱えていた主要国からすれば、人種差別撤廃など、とても呑めない話であった。上智大学名誉教授・渡部昇一氏によるシリーズ「本当のことがわかる昭和史」第六章・第4回。
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合本主義-渋沢栄一の持論の目的は「公益」の追求

本当のことがわかる昭和史《6》人種差別を打破せんと日本人は奮い立った(5)日本型資本主義の精神と渋沢栄一

明治時代に渋沢栄一という人物が出たことが、いまの日本経済の独特な精神と形をつくったことは間違いない。渋沢は若かりし頃、旧幕府時代にヨーロッパ諸国を訪れ、フランスで初めて近代的な経済制度などに触れる。帰国後、第一国立銀行を設立することから事業を始めた渋沢が目指したのは、株式会社方式(合本主義)を日本に広め、商人の地位を高めることだった。上智大学名誉教授・渡部昇一氏によるシリーズ「本当のことがわかる昭和史」第六章・第5回。


交渉にはヤクザなガッツが必要…ハリマン協定と小村寿太郎

本当のことがわかる昭和史《6》人種差別を打破せんと日本人は奮い立った(6)ハリマン提案を蹴った「深みのなさ」

アメリカの鉄道王エドワード・ハリマンは、日露戦争後、南満洲鉄道の共同経営を日本側に申し入れ、桂首相と仮協定を結んだ。だが、小村寿太郎はこれに反対し、協定を解消させている。あのとき南満洲鉄道を共同経営していたら、その後の歴史は大きく変わっていただろう。上智大学名誉教授・渡部昇一氏によるシリーズ「本当のことがわかる昭和史」第六章・第6回。


若き田辺朔郎の琵琶湖疏水の偉業を支えたのも「愛国心」

本当のことがわかる昭和史《6》人種差別を打破せんと日本人は奮い立った(7)西洋人たちに見下されてたまるか

土木工学者・田辺朔郎は工部大学校(東大工学部の前身)時代、卒業論文で書いた琵琶湖疎水の工事計画が高く評価され、それをもとに琵琶湖から京都まで疎水が引かれたという。当時の学生には、「西洋人たちに見下されてたまるか」という愛国心の強烈さがあり、それが難事業を成功させる力になっていた。上智大学名誉教授・渡部昇一氏によるシリーズ「本当のことがわかる昭和史」第六章・第7回。


早熟度と才能を誤解しないような社会・教育システムが重要

本当のことがわかる昭和史《6》人種差別を打破せんと日本人は奮い立った(8)早熟度がはげるとき

「頭がいい子供を育てる」という受験勉強主体の教育風土においては、「早熟」という問題点が現われざるをえない。官僚は減点主義だから、ミスを犯さなければ出世する。ところがそのうちの少なからぬ人たちが、出世の途中で早熟度がはげてくるはずだ。上智大学名誉教授・渡部昇一氏によるシリーズ「本当のことがわかる昭和史」第六章・第8回。


ピケティに物申す! 戦前の日本が現在と大きく異なる点

本当のことがわかる昭和史《6》人種差別を打破せんと日本人は奮い立った(9)なぜ「ガッツ」のない人間ができるのか

ガッツを考えるときに、一つだけ違いを踏まえておいたほうがいい点がある。それは、戦前の日本が現在と大きく異なる点の一つとして、農村もしくは地方の裕福な家から偉い人が出ているケースが少なくなった、ということだ。上智大学名誉教授・渡部昇一氏によるシリーズ「本当のことがわかる昭和史」第六章・第9回。


有色人種の解放は自らの誇りをかけて戦うべき正義

本当のことがわかる昭和史《6》人種差別を打破せんと日本人は奮い立った(11)なぜ対英米開戦に爽快さを覚えたのか

大東亜戦争の折の若い人々が、なぜあそこまでのガッツを発揮できたのか。白人に虐げられている有色人種を解放しようという理念は、当時の日本人にとって間違いなく、自らの誇りにかけて戦うべき正義であった。それは、「大東亜共栄圏」への強烈な思いにつながっていった。上智大学名誉教授・渡部昇一氏によるシリーズ「本当のことがわかる昭和史」第六章・第11回。
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激しい対空砲火の中、着陸に成功した「義烈空挺隊」の最期

本当のことがわかる昭和史《6》人種差別を打破せんと日本人は奮い立った(10)華々しく勇敢だった若者に去来した思いとは

先の大戦では、国のため、家族や愛する人たちのためには死んでも構わないという青年たちが、日本にいくらでもいた。昭和20年、義烈空挺隊員を乗せた爆撃機十二機は、米軍の激しい対空砲火で次々と撃墜されるが、一機だけが沖縄の北飛行場への強行着陸に成功。飛行機や航空燃料などを破壊したのち全員戦死している。隊長以下、みな二十代、十代の若者だった彼らの胸に去来した思いは、どのようなものだっただろうか。上智大学名誉教授・渡部昇一氏によるシリーズ「本当のことがわかる昭和史」第六章・第10回。


大東亜会議の理念を各国指導者たちはどう評価したのか?

本当のことがわかる昭和史《6》人種差別を打破せんと日本人は奮い立った(12)大東亜会議を再評価せよ

戦後、アジア諸国はみな独立をしたが、あのとき日本が戦っていなければ、独立はとても難しかっただろう。その意味で、重光葵外相が開催に尽力した大東亜会議を改めて評価すべきである。上智大学名誉教授・渡部昇一氏によるシリーズ「本当のことがわかる昭和史」第六章・第12回。


非アウタルキー国家といわれた日本。アウタルキーとは?

本当のことがわかる昭和史《6》人種差別を打破せんと日本人は奮い立った(13)アジア独立こそ日本の生きる道だった

アメリカやイギリス、ソ連など自給自足国家は、他国との貿易を制限して自国経済を守るために、どんどん関税障壁を高め、ブロック経済化を推し進めた。しかも、日独伊三国同盟やシナ事変などによって態度を硬化させた英米は対日禁輸策を打ち出してきていた。これを打開するため、日本はアジア諸国を独立させることによって自由貿易を進め、資源を確保しようと考えた。上智大学名誉教授・渡部昇一氏によるシリーズ「本当のことがわかる昭和史」第六章・第13回。
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東條英機が東京裁判での供述書に込めた静かな怒りとは?

本当のことがわかる昭和史《6》人種差別を打破せんと日本人は奮い立った(14)最後まで失われなかった誇り

日本は、人種差別をしアジア侵略をしてきた英米に立ち向かうという意義を掲げて戦ったが、相手から「世界制覇を目指していた」「侵略国だった」などと断罪される。結果として、日本は敗戦を迎えることになるのだが、最後まで誇りは失われなかった。上智大学名誉教授・渡部昇一氏によるシリーズ「本当のことがわかる昭和史」第六章・第14回。
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